プライドを全部捨て去ってみたら、人生がうまく回り始めた。「60社受けて内定ゼロ」のドン底から起業に至るまでの不格好ストーリー

西村創一朗
NOW OR NEVER
Published in
12 min readJul 22, 2015

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就活生や若手社会人、最近ではベテランのビジネスパーソンからも「次回も楽しみにしてるよ!」とお声がけ頂くことも増えてきた不格好就活。

シリーズ「不格好就活」の過去記事はこちらからどうぞ。

今回は新卒で入社後、上場まで営業として支えたのち、SUPER STUDIOを創業されて活躍中の真野勉さんにお話を伺ってきました。

60社受けてすべて落ちる…暗黒の就活時代

ーー株式会社SUPER STUDIOのファウンダーで副社長を務める真野さん。学生時代はどんな学生だったんですか?

真野勉さん(以下、真野):
とにかく勉強とバイトしかしてませんでしたね。
高校の時、全然勉強ができなかったんですが、父親は教師で勉強も運動もできました。父親に対して劣等感があって、負けたくないという思いが強かったんです。

高校時代には偏差値が30しかなかったところ、浪人時代に1日13時間勉強して青山学院大学に入ったので、大学でもしっかり勉強し続けたいと思っていました。その反動で、サークルや新歓で騒いでいる学生をちょっと斜めに見ている学生でしたね(笑)

ーー学生の本分は学業!というタイプだったんですね。就活にも活きてきそうですね!

真野:
大学2年の時に成績優秀者10位以内に入ったことだけは成功体験でしたが、いざ就活となった時には何も誇れるものはありませんでした。

当時、バイト代は全部服につぎ込むくらい服が好きだったので、それを仕事にしたいという単純な気持ちでアパレル専門商社やアパレルメーカーを受けていました。

でもエントリーシートからして全然受からなかったんですよ。今考えると、アパレル業界って個性的な人が多いのに、「勉強だけを頑張った」という真面目で堅いアピールばかり書いたエントリーシートじゃ通るわけなかったんですよね(笑)

選考はことごとく60社くらい落ちました。二次募集も受けたんですが、全然だめでしたね。
この時は本当に落ち込みました。

就活をやめて、訪れた転機。

ーー真野さんが60社受けて受からなかったなんて信じられないです…!その後どうしたんですか?

真野:
同じ大学に何社ものベンチャーでインターンをしている、こいつはすごいなと思うHくんという人がいたんですけど、Hくんが参加しているNPOに誘われて、2ヶ月間アメリカに行くことにしました。

大学時代、友達が輝いているのを見て劣等感を感じつつ、一方で俺にも何かできるはずだと思いながら変わることができませんでした。社会起業家の存在を知って、そうなりたいと思ったものの、なんで自分はなんでそっち側にいけないんだろうと思っていました。

だからこそ、大学4年の2月という就職浪人するかどうかが決まるぎりぎりのタイミングだったんですが、Hくんに「人生変わるよ」と言われて、どうしても行きたくなり決意をしました。

実は、ちょうど2月に初めてベンチャー企業という存在を知って最終面接まで行った企業が1社あったんですが、アメリカに行くタイミングと選考が重なってしまいました。悩んだ末、その時の自分はどうしてもアメリカに行って自分を変えたいという気持ちが強かったので、「親に頼み込んで就職浪人する!」と決め、アメリカに行くことを優先しました。

ーーアメリカから帰国後はどうされたんですか?

2ヶ月後、日本に帰ってきたのが2011年3月。震災のあとだったんです。
アメリカのテレビで日本の様子は見ていたんですが、成田空港に着くなり雰囲気がお通夜みたいで、あの時は本当に衝撃を受けました。

アメリカでリーダーシップなどを学んできたあとだったので、これは何かやらなければいけない!と、いてもたってもいられなくて、説明会や就活の予定を入れていたんですが、全部キャンセルして震災のボランティアに行くことにしました。
「就活はあとでもできる」って思ったんですよね。

そして、キッズドアというNPOで、南三陸の子供たちの学習支援をするために、東北支部の立ち上げを二人で行い、仙台と東京を行ったり来たりの生活をしていました。

仙台では、避難所になっていた体育館に泊まっていたんですが、そこで株式会社ジースタイラスの方とたまたま知り合いになり話すようになったんです。「東京に帰ったら就活しなきゃなんですよね」という話をすると、ジースタイラスさんのやっている逆求人フェスティバル(学生が企業の方に向けて自分をプレゼンする就活イベント)の存在を教えてもらい、東京に帰ったらすぐに参加しました。

2回目の就活。プライドをすべて捨て去る。

真野:
そのイベントで出会ったのが、株式会社リアルワールドでした。4月後半くらいの話ですね。

そこから2ヶ月就活をして、リアルワールド、CTC(伊藤忠テクノソリューションズ)、そしてベンチャー企業3社、合計5社から内定をもらいました。

ーー1回目の就活では60社受けて内定が出なかったところ、2回目の就活は5社も内定をもらったというのは大きな変化ですね!1回目と2回目は何が違ったんですか?

1回目は受け身でしたし、「就活活動」をしてしまっていました。就職をするための活動ではなくて、就活をすること自体が目的になってしまってたんですよ。皆が就活をしているからやる、面接でも質問されたから答える、など反応しているだけで、自分からアピールしたりすることはありませんでした。

でもアメリカに行ったこと、震災のボランティアを通じて、自分で考えて行動する経験をしたことが大きかったんだと思います。自分のやりたいことの延長線上に、仕事をすることを捉えられるようになったんです。

あともう1つ大きな違いは、プライドを捨てたことです。
1回目の就活では60社からお祈りメールがきて、一生懸命考えて話してるのに面接で「君は全く努力してないね、全然ダメだよ」と言われたりして、相当心が折れていました。

誰かに相談したいと思ったものの、家族には「そのままでいいんじゃない?」と言われるし、友達に相談するにも引け目を感じて、なかなか相談できる相手がいませんでした。でも、もうそんなことは言っていられないと思って、アクティブに活躍していて自分とは別世界だと思っていたHくんに思い切って相談したら、自分が変わるきっかけになったアメリカのNPOに誘ってくれたんです。

最初の就活でつまづいたからこそ、自分をさらけ出してプライドを捨てられました。プライドを捨ててからは、人からの見られ方も良くなったし、交友関係も広がったし、自分らしく人と接することができるようになりました。

この時、心が折れずに就職できてしまっていたら今の自分は絶対にないと思うので、1回目の就活は全敗して本当に良かったと思っています。あの時プライドを捨てていなければ、起業はもちろん、今の自分はないですね。

同期が3分の1に減った、怒濤の新卒時代

ーー「全敗していなければ今の自分はない」というのは、かなり貴重な体験だったんですね!無事5社内定が出て、リアルワールドに決めた理由は何だったんですか?

真野:
自分の中では、CTCかリアルワールドの二択だったんですが、周りの人は全員「絶対CTCでしょ!」という反応でした。

確かに、リアルワールドの事業内容はクラウドソーシングという当時はあまり知られていないサービスで、何をやっているのかよく分からなかったし、会社説明の資料が2枚しかなくて「この会社、大丈夫なのかな」と思ってました(笑)

まずリアルワールドの中を見てみようと思い、インターンをさせてもらったんですが…まさにベンチャー企業という混乱した状況でした。半年のインターン中にどんどん仕事を任されるようになって、「これは辞められないパターンだな」と思い、そのまま入社を決めました (笑)

とは言え、同期がものすごく優秀で、その中で自分は一番できないかもしれないけど、なんとかここで頑張りたいという気持ちになったことが大きな入社動機です。

正式入社して、赤字の事業部を黒字にするミッションを学生中心のメンバーで進めました。最初は事業部の売上表を見せられても赤字の意味すら分からない状況で、月に100〜200万円の売上をつくるのがやっとの事業部でした。でも1年で300%成長して、事業部の予算をすべて自分に任せてもらえるようにまでなり、新人賞をいただくことができました。

同期は10数名いましたが、1年で5〜6人が辞めました。リアルワールドでは3年半働きましたが、自分が辞める時には同期は3人しか残っていない程、厳しい環境でした。今では上場してすっかり優良企業になったので、当時が信じられないくらいです(笑)

ーーかなり厳しい環境だったんですね。その環境の中でも頑張れたのはなぜですか?

真野:
上場したかったんです。上場というやりたいことがあったので、それをやり切るまでは辞めたくなかったんです。

あとは、半年のインターンをしている時に同期から「お前はベンチャーに向いてない。今からでも遅くないからCTCに行った方がいいんじゃない?」と言われました。その言葉で「絶対活躍してやる!」と覚悟を決め、本当に大変な毎日でしたが頑張れました。

学生の頃からずっと、思うような自分になれないという強いコンプレックスがあって、それを克服するためにやっと回ってきたチャンスだと思ったんです。打席に立つことができたんだから、あとはとにかくバットを振るしかないと思って。

ーー大変ながらも充実した毎日のようですが、リアルワールドはどういったタイミングで辞めたんですか?

真野:上場したからというのが大きいですね。1年目で新人賞、2年目でMVP、3年目で上場を叶えられて、入社して3年で上場できたら1回自分を認めようと決めていました。

商談中に起業が決まった!?今だから話せる起業秘話と今後の展望

真野:
そんな中、お客さんだった林と気が合って商談中に一緒に起業しようと話がまとまりました。もう時効ですかね、この話(笑)

転職か起業か迷いましたが、元々30歳までには起業したいと思っていましたし、縁があったことと、この年ならまだいくらでもやり直せると思って見切り発車しました。

ーー林さん(CEO)と一緒に起業しようと思ったのはなんでなんですか?

真野:
同い年で、話していてこんなに親和性が高くて、バックグラウンドが似ていて、兄弟のような感覚を感じる人に会ったことがなかったんです。この人となら、シナジーを生み出せると感じました。起業をする時は「何をするかより、誰をやるか」を重視していたんですよね。

でも、林も私も、手を動かしてサービスを作ることはできなかったので、システムを作ってくれる人を探してたんです。そこで、林が「友達に適任がいるから声をかけてくる」と言って、話を持ちかけたものの、その人はNTTデータでマネージャをやっていて、しかも結婚したばかり。絶対に一緒にやってくれることはないだろうと思っていたところ、ちょうど独立することを考えていたようで、話がまとまり3人で起業することになりました。

そこからは早かったですね。金曜に起業の話がまとまって、月曜に会社に退職の話をしました。

ーー3名で立ち上げた株式会社SUPER STUDIOでは、どんな世界観を作っていきたいとお考えですか?

日本にはものづくりの技術があるものの、伝えられていないことが多いと感じています。それが本当にもったいないと思っていて、職人さんの技術をwebを使って広めていきたいと考えています。ゆくゆくは地方や海外にも広めていきたいと思い、ものづくりレシピ共有サイト「PU(ピーユー)」というサービスを作りました。

DIY(Do It Yourelf)が流行っていますが、そうではなくDo It Others=みんなで共有していこう、という考え方を広めていきたいと思っています。誰もやっていないこと、皆ができないと思っていることを、周りを巻き込んでやっていきます。

自分たちが最高に面白いと感じることを、信じる仲間と一緒に実現させていく。
それがSUPER STUDIOでやりたいことですね。

ーー真野さん、貴重なお話をありがとうございました。SUPER STUDIOの今後の展開、とても楽しみにしています!

取材後記:プライドを捨て去れる人は、強い。

今回お会いさせて頂いた真野さんのお話、ガリ勉時代から暗黒の就活時代、NPOへのジョイン、それからリアルワールドへの入社、そして起業に至るまで非常に面白くインタビューさせて頂きましたが、中でも印象的だったのが「つまらないプライドをかなぐり捨てて、自分の弱みを認めて周囲に頭を下げることができるようになってから、人生上手く回り始めた」というお話でした。

人間、どんなに小さなプライドだったとしても、プライドを捨て去るのは非常に難しいことです。それは、それなりの上位校にいる高学歴の人ほどそうでしょう。「勉強ができる」という成功体験があるので、周囲から「できるやつ」だと思われているし、自負もある。

プライドを捨てるというのは、できない自分を認めてバカになって周囲に頭を下げるということなので、なかなか簡単にできることじゃありません。

ただ、壁を突き破って次のステージに進むためには、「できる自分」「できた自分」という過去の成功体験を捨て去って「ゼロになる」ことが不可欠です。

「プライドを捨てされる人は、強い。」

真野さんとのインタビューを通じてそんなことを強く感じました。次回も乞うご期待下さい!
(インタビュー:西村創一朗、文:菊地美希)

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HRマーケター/複業研究家。30歳@三児の父。2015年6月、リクルートキャリア在籍中に「二兎を追って二兎を得られる世の中をつくる」というビジョンを掲げ、株式会社HARESを設立し、代表取締役社長を務める。NPO法人ファザーリングジャパン理事